こんにちは。キラリ石のfumiです
今回は、「我が母校」と題して日記を書きます。
皆さんにも、当たり前のようにいくつもの「母校」があると思います。
私にとっても、保育園から、小学校・中学校・高校・大学と、、5つの母校があります。
みんなそれぞれに思い出があり、そこに友達がいて、当たり前のように歴史が続いていく。。。はずなのですが、、、
今年度をもって、母校である中学校が閉校となってしまいます。
先日28日には、閉校式典がありましたので参加してきました。
創立52年だそうです。
建物は、その当時、昭和34年に建てられたそのままで残っています。
長野県でも珍しい『木造校舎』だそうで、私もその校舎で学んだ学生の1人です。
創立当時は400人以上いた全校生徒も、今では110人だそう。
各学年1クラスのみとなり、、町内のもう一つの中学校との合併となります。
私が通っていた頃も、学年2クラス、全校でも200人弱だったと思います。
それはそれで、在校生徒みんなが顔見知りだし、学年問わず交流もあり、よかったなぁと思うのですが。
クラブ活動も制限されるし、競争心が薄くなるのでしょうか。。
すっかり過疎化して子供が少なくなってきているので、仕方ない。。(><)
下駄箱は、木製です。 私達の頃よりもだいぶ数が減っていました。
教室棟の外観です。平屋建ての校舎です。
懐かしい教室、生徒会室。
木の床ですが、光っていると思いませんか??
これは、歴史あるぬか雑巾掛けによるものです。
「ぬか雑巾」とは、米ぬかを手ぬぐいで作った袋に入れ、その雑巾で床を磨くというもの。
夏は虫がわき、嫌な作業でしたが、その積み重ねにより保たれた床の輝き!!
古い校舎ですが、自慢の校舎です。
音楽室
音楽会の練習を頑張りました。
技術室
理科室
図書館
ストーブ懐かしい。
椎茸の栽培をしました。椎茸の菌を木に打ち込みます。印象深い体験。
どこも思い出が詰まった場所ばかり。
人それぞれにお気に入りの場所があったのかな?
閉校式典では、在校生による合唱に始まり、和太鼓の演奏や来賓の方々の挨拶、講演会などがありました。
最後には、在校生が作ったスライドショーがあり、写真やビデオを使って、52年の歴史を振り返る事ができました。
ちょっと感動・・・
学校建設当時、白黒の写真の中には、私のお父さんよりも上の年代の人たちが並んだ集合写真がありました。
制服が決まった年、文化祭が始まった年、競歩大会が始まった年の紹介など。
ぬか雑巾掛けや生徒会活動の駅前清掃などの風景。
私も、私の弟妹もお父さんもおじさんも通った中学校です。
なくなってしまうのは本当に寂しい事だけど、
思い出とみんなの思いがつまった学校なんだなぁ、、と改めて感じることができました。
閉校まであと4ヶ月、在校生も沢山思い出を作ってほしいと思います☆
コメント
懐かしい写真がいっぱい!!!
閉校式行けなくてごめんね><
完全に閉校になる前に、1回行きたいな・・
でもホント寂しいねpq
床の輝きもいつかなくなっちゃうのかな・・
emiさんへ
校舎を見ているだけで当時の思い出が不思議と蘇るよね。
木造校舎がなくなってしまうのは、ほんと残念。。。
>床の輝きもいつかなくなっちゃうのかな・・
→なんか寂しいね。。床板でオルゴールを作ったみたいだけど、今後校舎がどうなるのか?残して欲しいね。